2004年 10月 07日
どんな分野にも潜んでいる隠れ売国奴はまるでゴキブリ |
日本の着物研究家「着物の起源は百済にあり」
はい、またしても売国奴を見つけちまいました。
今度は着物だってよ。
いろんな所に潜んでるから厄介だよ、売国奴は。
まるでゴキブリだな、まったく。
しっかしまぁ、朝鮮人も次から次えとよくやるよ。
感心するよそのマメさには。
てか、そのマメさを、別のことに使えっつーの。
じゃあ、まず言わせてもらおーか、河田満智子先生さんよ。
あんた、日本の代表的着物研究家じゃねーよな。
平安王朝・襲色目研究家とか平安王朝・色彩研究家だよな。
そんなおまえが「着物の起源は百済(ぺクジェ)文化にある」なんて、
断言していいと思ってんのか、え、おい。
おまえ、こんなあからさまに怪しい、韓日文化祭典「Pre-Festival Fantasy Finale 2004」
なんつーインチキ文化祭なんかに出てんじゃねーよ。
なんだよ“Fantasy Finale”って。
ファイナル・ファンタジーのパクリか。
意味がわかんねー名前付けてんじゃねーよ。
それともあれか、なんかカッコイイからか。
相変わらず、アホ丸出しだな。
>「日本は古くから韓半島を経て大陸文化を受容・模倣しながら自国の文化を形成し、
>奈良時代までの宮中衣装は、色合いや模様がすべて韓服とそっくりだ」
てめーやっぱり、着物より色とか模様の研究家じゃねーか。
なに、着物の起源なんか、語ってんだよ。
つか、おまえはバカか。
言ってることが滅茶苦茶矛盾だらけじゃねーか。
『韓半島を経て大陸文化を』って所で、すでに朝鮮はただの通り道じゃねーか。
しかも、『受容・模倣しながら自国の文化を形成』って、結局自国の文化って言っといて、
なんで『色合いや模様がすべて韓服とそっくりだ』になるんだよ。
おまえはまず、自分の言ってることを把握しろ。
>「上衣と下衣からなる百済の衣服の形が、平安初期まで続いた」と話した。
ったく、このバカ。
なんにも知らないくせに、なに大嘘こいてんだ。
日本人はな、縄文時代から上下分かれた服着てたんだよ。
そんで、様々な文化が入り交じり、日本の風土や美意識に適した形に変わっていき、
やがて、着物の原型となって、平安時代へと受け継がれていったんだよ。
そりゃあ確かに中国の影響はデカイが、中国の服装自体、魏晋南北朝時代に
南北の風俗とか文化が混じり合って、新しいモノが生まれていたころじゃねーか。
そんなときに、中国だけのオリジナルって訳にゃいかなかっただろが。
つまり、日本の「着物の起源はココ」なんて断言は、誰にもできないんだよ。
ましてや、おまえみたいな門外漢が大口叩くんじゃない。
あ、ただし、これだけは断言できる、朝鮮人なんかの出る幕はどこにも無い。
>「百済から移入した文化を日本で消化し、日本の伝統宮中衣装が完成した」
だからな、百済の服自体が中国の服にそっくりだろ。
それをなんで、百済独自の服装を日本がパクッたような言いかたするんだよ。
喧嘩売ってんのか。
>「そのおかげで貴族が活躍した平安時代に花を咲かせることができ、
>宮中衣装が千年後の現在にまで受け継がれている」と述べた。
しつこいなーおい。
平安時代の着物はな、完全に日本独自のモノなんだよ。
ましてや、平安時代の着物とそれ以降の着物自体、かなりの別物に変化してるんだよ。
それなのに、まるで千年間日本がパクリ続けたようなこと言いやがって。
日本の着物はな、完全に世界でただ一つ、日本だけのモノなんだよ。
朝鮮人の、ヘンテコな服なんかと一緒にすんな。
てか、まったく、全然、少しも似てないっつーの。
どこに目をつけてんだ、この節穴野郎。
だいたい、やたらと派手な色を、ただ適当に混ぜ合わしたような朝鮮人の色使いと、
季節や抽象的イメージを、様々な色の組み合わせで現そうとした、
日本人の色使いを比べる時点でおかしいだろが。
そもそも、本当に色彩の研究自体、ちゃんとやってんのか。
おまえのトンデモ発言を聞いてっと、なんだかソレすらも怪しいぞ、おい。
つか、本当は研究なんかロクにやってないっぽいよな。
じつは、タダたんに着物のあら探ししてるだけなんじゃねーの。
そんで、研究よりあら探しの方が得意なんだろ。
お友達の朝鮮人どもみたいによ。
まぁ、とにかく。
そんなに朝鮮服が好きなら、朝鮮服を研究してろ。
今後一切、着物のことを研究すんな。
つか、口出しすんな。
ついでに、日本に戻ってくんな。
一生な。
はい、またしても売国奴を見つけちまいました。
今度は着物だってよ。
いろんな所に潜んでるから厄介だよ、売国奴は。
まるでゴキブリだな、まったく。
しっかしまぁ、朝鮮人も次から次えとよくやるよ。
感心するよそのマメさには。
てか、そのマメさを、別のことに使えっつーの。
じゃあ、まず言わせてもらおーか、河田満智子先生さんよ。
あんた、日本の代表的着物研究家じゃねーよな。
平安王朝・襲色目研究家とか平安王朝・色彩研究家だよな。
そんなおまえが「着物の起源は百済(ぺクジェ)文化にある」なんて、
断言していいと思ってんのか、え、おい。
おまえ、こんなあからさまに怪しい、韓日文化祭典「Pre-Festival Fantasy Finale 2004」
なんつーインチキ文化祭なんかに出てんじゃねーよ。
なんだよ“Fantasy Finale”って。
ファイナル・ファンタジーのパクリか。
意味がわかんねー名前付けてんじゃねーよ。
それともあれか、なんかカッコイイからか。
相変わらず、アホ丸出しだな。
>「日本は古くから韓半島を経て大陸文化を受容・模倣しながら自国の文化を形成し、
>奈良時代までの宮中衣装は、色合いや模様がすべて韓服とそっくりだ」
てめーやっぱり、着物より色とか模様の研究家じゃねーか。
なに、着物の起源なんか、語ってんだよ。
つか、おまえはバカか。
言ってることが滅茶苦茶矛盾だらけじゃねーか。
『韓半島を経て大陸文化を』って所で、すでに朝鮮はただの通り道じゃねーか。
しかも、『受容・模倣しながら自国の文化を形成』って、結局自国の文化って言っといて、
なんで『色合いや模様がすべて韓服とそっくりだ』になるんだよ。
おまえはまず、自分の言ってることを把握しろ。
>「上衣と下衣からなる百済の衣服の形が、平安初期まで続いた」と話した。
ったく、このバカ。
なんにも知らないくせに、なに大嘘こいてんだ。
日本人はな、縄文時代から上下分かれた服着てたんだよ。
そんで、様々な文化が入り交じり、日本の風土や美意識に適した形に変わっていき、
やがて、着物の原型となって、平安時代へと受け継がれていったんだよ。
そりゃあ確かに中国の影響はデカイが、中国の服装自体、魏晋南北朝時代に
南北の風俗とか文化が混じり合って、新しいモノが生まれていたころじゃねーか。
そんなときに、中国だけのオリジナルって訳にゃいかなかっただろが。
つまり、日本の「着物の起源はココ」なんて断言は、誰にもできないんだよ。
ましてや、おまえみたいな門外漢が大口叩くんじゃない。
あ、ただし、これだけは断言できる、朝鮮人なんかの出る幕はどこにも無い。
>「百済から移入した文化を日本で消化し、日本の伝統宮中衣装が完成した」
だからな、百済の服自体が中国の服にそっくりだろ。
それをなんで、百済独自の服装を日本がパクッたような言いかたするんだよ。
喧嘩売ってんのか。
>「そのおかげで貴族が活躍した平安時代に花を咲かせることができ、
>宮中衣装が千年後の現在にまで受け継がれている」と述べた。
しつこいなーおい。
平安時代の着物はな、完全に日本独自のモノなんだよ。
ましてや、平安時代の着物とそれ以降の着物自体、かなりの別物に変化してるんだよ。
それなのに、まるで千年間日本がパクリ続けたようなこと言いやがって。
日本の着物はな、完全に世界でただ一つ、日本だけのモノなんだよ。
朝鮮人の、ヘンテコな服なんかと一緒にすんな。
てか、まったく、全然、少しも似てないっつーの。
どこに目をつけてんだ、この節穴野郎。
だいたい、やたらと派手な色を、ただ適当に混ぜ合わしたような朝鮮人の色使いと、
季節や抽象的イメージを、様々な色の組み合わせで現そうとした、
日本人の色使いを比べる時点でおかしいだろが。
そもそも、本当に色彩の研究自体、ちゃんとやってんのか。
おまえのトンデモ発言を聞いてっと、なんだかソレすらも怪しいぞ、おい。
つか、本当は研究なんかロクにやってないっぽいよな。
じつは、タダたんに着物のあら探ししてるだけなんじゃねーの。
そんで、研究よりあら探しの方が得意なんだろ。
お友達の朝鮮人どもみたいによ。
まぁ、とにかく。
そんなに朝鮮服が好きなら、朝鮮服を研究してろ。
今後一切、着物のことを研究すんな。
つか、口出しすんな。
ついでに、日本に戻ってくんな。
一生な。
by burn_nail
| 2004-10-07 19:19
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